2008年・初☆聞き取り(仮)!
2008 / 03 / 19 ( Wed ) こんにちわ、ゆきです。先日、FoRPで被爆者の方のお話を聞いてまいりました。今回はその報告です☆☆
今回お話いただいたのは、越智さん(字、あってるかな?)という方です。越智さんは神戸出身でしたが、広島の親戚のところへ疎開している時に被爆しました。越智さんには神戸大空襲、被爆当時のお話…などなど貴重なお話をたくさんしていただきました!なので書きたいことがいっぱいありすぎて、あまりまとまりがありません(笑。長々と申し訳ないですが多少なりとも越智さんの想いを伝えられれば、と思います(*´ω`*) 1945年8月6日の朝。太陽が落ちてきたのかと思った、というほどの火の玉が突如として広島のまちを襲いました。越智さんはとっさに目と耳を覆いうつぶせになったため、大きな怪我は免れました。空襲からの経験で何度も訓練していたためでした。何度かの爆風の後、ふと気がついたら風がやんでおり、立ち上がると、そこにはもう何もありません。原爆はまちを跡形もなく吹き飛ばしていったのでした。残されたのは多くの、男か女かもわからないほど真っ黒こげになった人、ベロリとはがれた自分の皮膚を手先からぶらさげながら水を求める人…。当時広島にあった7つの川は水を求める人であふれ、多くの人はそこで息絶えたと言います。 一つ私の印象に残った話を書きます。被爆後、越智さんは避難できる場所を求め、町を歩いていました。軍隊に入っていた兄のところへ行ける事になり、迎えが来るまで道で待っているように言われます。そこで道端に寝転んで待つことに。そのときふと、傷だらけで道路に寝転んでいることが、どうしようもなくみじめになってきた。そして思ったといいます。戦争とはなんと情けなく、哀れなんだろうと。 もう一つ。戦後しばらくは被爆者に対しての偏見の目もあったり、被爆者のこどもは奇形児が生まれやすいなどの報道もあったりと、なかなか被爆者として話すことを避けていたそうです。しかしある日の新聞にベトナム戦争の写真が載ります。おそらく現地のベトナム人であろう人の刈り取った首を片手に掲げ、ほくそ笑んでいるアメリカ兵。「これが戦争だ」越智さんは思いました。広島から生まれ故郷である神戸に帰ったあと、言いようの無い倦怠感に襲われ、その後入院。一度は医者にもう助からないだろうといわれながらも、家族の献身的な介護もあり、奇跡的に回復した越智さん。だからこそ、その写真を見た時に空襲、原爆の難を逃れ、生き残った自分が戦争、そして核の脅威を伝えてゆかなければいけないと強く感じたそうです。 FoRPではたくさんの方の被爆体験を聞き、少しでも多くの人にその実態を語り継いでゆきたいと考えています。この活動、「聞き取り」というのはまだ仮名で、今年から本格的に始動してゆく予定です。越智さんも言っておられましたが、一番恐ろしいのは無知と言うことです。みんなが核、そして戦争の恐ろしさというものを理解すればあのような恐ろしいことはもう二度と起こらないと思うのです。 最後に。なんでこの世に生まれてきたのか。そう思うことがあると越智さんはおっしゃいました。どうしようもなく、悲しくなりました。長崎の被爆者の方にお話を聞いた時にも、同じ事を言っていました。なんのために生きているのかと。ただでさえ苦しめられてきた人たちにそんな思いをさせる戦争とは何なのでしょう。戦争とは一瞬ではありません。その傷は一生被害者を苦しめるのです。そしてその人だけでなく、その家族や周りの人にも影響は及びます。そのように苦しんでいる人に、もうこれ以上苦しい思いをさせたくない。生きていて良かったと思って欲しい。私の平和への願いの根本は、そこにあるんだと思いました。 以上です!! ちなみに今回はほとんど触れられませんでしたが、神戸大空襲というのはあの「火垂(ほた)るの墓」の題材にもなってるんですよ。あ、そういえば遠いところに行っていたちかさん笑!もう帰ってらしたそうですね。おかえりなさい♪♪ んでは(´∀`)ノ |
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ただいま♪(笑)素晴らしい報告ありがとう☆がんばってテープ起こししようね=3