北海道集会の内容と感想です
2008 / 02 / 19 ( Tue ) コニシです。大石さんのこんな話を聞きましたよー。
大石さんがビキニ環礁沖で被爆したのが、1954年であったが、日本に帰ってからしばらくは今やっているような、反核運動などには参加していなかった。被爆者は社会的な差別を受けていたから、それを恐れて、早くこの事件がひとびとの記憶からなくなることを願いながらクリーニング業を営んでいた。漁師はやめていた。 何年かたって、そろそろビキニ事件の記憶が薄れてきたと感じていたときに、第五福竜丸がごみ処理場に廃棄(現在の東京夢の島)されているというニュースが流れる。やっと忘れられたと思ったのに・・・。そう思いつつも、かつての仲間とともに福竜丸を探しにいってみた。福竜丸は被爆当時とは船内の装備が変わっていた。研究者から貴重な資料なので残してほしいという要求に基づいて沈められることはなかったが、その後大学の研修用の船として使われ、廃棄前にエンジンを取られてそのときの姿に。ニュースで取り上げられ、第五福竜丸の保存運動が始まり、今の東京夢の島に展示されることになった。 話は変わって、被爆時について。時間は早朝。まだ辺りは暗かったが、仕事は始まってい た。水平線の向こうが急に明るくなった。夕焼けのような景色。天変地異でも起こったのでは。とにかく不思議な光景だった。音もなく、反対側の水平線までオレンジ色の光が包み込んでいる。何かわからないが、漁を中止してはえなわを引き上げることに。作業をする者と朝食をとる者にわかれた。光が空を覆って数分したころ、大きな音が聞こえてきた。遠くから聞こえるというよりも、地鳴りのように下から響いてくるような感覚。大石さんは朝食を食べていたが、それを放り出して船内へ駆け込む。空襲を受けたときのようにかがんで丸くなっているひとも。船内はパニックに。しばらくすると雲が出てきて、空を覆う。そこから白いものが降ってくる。ザラザラしていて、目に入るとすごく痛い。それがシャツの内側、ベルトを締めてあるところにたまっていく。はちまきの上にも。後から見ると水ぶくれができており、放射線による火傷であった。 久保山無線長は米軍が何か行ったのであろうということを、直感して、すぐに日本に帰ることにした。無線は打たなかった。打てば米軍に発見され沈められると思ったから。船員にも飛行機か船か潜水艦が見えたらすぐに知らせるように言った。 港に帰って、いつものように獲れた魚の一部を近所のひとに配る。出荷もしてひと段落、と思いきや、マグロが放射線による高濃度の汚染を受けていることがわかる。それが出荷した翌日のこと。すでにマグロは出回っており、口にしたひともいた。大石さんが配ったマグロはその日の夜には食べられていた。その後の調査では、高濃度汚染された雨が日本に降っていたこともわかった。しかし政府はアメリカに謝罪を求めるのではなく、このことをきっかけに反核運動が起こらないように、勢いをつけないように注意し、行動した。当時(今でも)日本はアメリカに対して意見することができないため。毒をもって毒を制す、として原子力発電の開発を積極的に進めることになる。 前記のとおり、大石さんは反核運動に対して消極的であった。当時の被爆者に対する差別はひどいもので、就職はもちろん結婚にも及んだことは筆者も聞いたことがある。しかし、知識を得、自分のそのときの境遇が水爆実験によるものであり、何も自分は悪いことをしていない、核兵器のせいだということを感じ、反核運動に関わることになる。そのときは補償金が国から渡されたが、渡された自分たちが悪いように言われていたので、なおさらのことだった。ちなみに、被爆時に降った白い固形物は、爆発で巻き上げられたサンゴの破片。 北海道集会に参加した感想 ビキニデー北海道集会に参加し、青年としての企画にちゃんとした形で加わってみなさんの前に出たのも初めてだったので緊張し通しでした。第5福竜丸乗組員冷凍士の大石さんの話も聞いたことがなかったので受付をやって忙しかったですが、合間を見つけて聞かせていただきました。聞いているうちに私自身ビキニのこと、原爆のことについてまだまだ知らないことが多く、勉強不足だと実感しました。また、参加者に若い人が少なかったので同世代の人に一人でも多く、ビキニのこと、原爆のことを知ってもらって核兵器廃絶を改めて訴えていきたいと思いました。 byあゆみ |
ビキニデー集会
2008 / 02 / 19 ( Tue ) 初めましてこんにちは〜、ゆきです。これからブログを再開してゆくという事なので、こうへいさんに続いて、先日行われたビキニデー集会について私の報告やら感想やらをちょこっと書きたいと思います(*^^*)
ビキニデー集会では、私たちはミニ企画?として、タペストリー製作などを担当しました。タペストリーには集会に参加していただいた人たちからの心のこもった平和へのメッセージが貼られています。初めはどうなるかと思いましたが、最後にはなかなか素敵な作品に仕上がりましたよ!会の最後に、そのタペストリーは青年達から3.1ビキニデー集会の北海道代表団に手渡されました〜。 また講演では第五福竜丸乗組員であった大石さんがお話をされました。もっと学校で核の恐ろしさを伝えていかなくてはいけない。ほんとうの核の恐ろしさを知らないからこそ、核を持つべきだという考えがでてくるのです、と大石さんはおっしゃっていました。でもそれを教えることが今の教育現場では難しくなってきているのも事実。うーん。やはり「知ること」は大切ですよね。これからの活動でFoRPがその「知ること」の発信源となってゆくことができれば良いなぁ、なんて思いました。以上! |
久しぶりの更新
2008 / 02 / 15 ( Fri ) 初めて記事を書きます、こーへーです。今日は3・1ビキニデー北海道集会がありました。私たちFoRPも企画を一つ担当しました。詳しくは近日中に記事をUPします。今日はとりあえず、久々なので最近何をしていたかについて簡単な報告をします。
最近はこのビキニデー集会の準備を専らやっていました。また、今年のビキニデーのパンフを使っての学習会を始めたりしています。去年の11月以降の活動をいいますと第4回目の原水禁世界大会の報告会を行いました。また、北海道新聞に取り上げられました。そして、そのことから図書館から報告集を寄贈して欲しいと要請されました。公共の図書館に学生ツアーの活動の成果が保存されています。 今後はブログも再開する予定なので、ご覧下さい。今日のビキニデー集会の報告も早めにUPするので、ぜひ見てください。よろしくおねがいします。 |
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