2007年原水禁世界大会 報告会
2007 / 08 / 24 ( Fri ) 昨日、8月22日、被爆者会館にて、原水禁世界大会の第一回報告会を行いました。被爆者のお話を聞き、今回世界大会に参加したメンバーが報告をしました。
お話してくれたのは、12歳のときに広島で、爆心地から2kmの地点で被爆された女性でした。被爆後60年の時に初めて被爆体験を話され、まだ数回しか話したことがないとおっしゃりつつも、切々と語ってくれました。 爆発の瞬間、訓練で教えられたとおりにとっさに目と耳をふさいで、家の隅っこでうずくまったといいます。外に出ると、黒い雲がたれこめ、雷が鳴っていました。そのバリバリという音に、機銃操作をされるんじゃないかと、とてもおびえながら白い、何もない道を歩きました。 毎日人が焼かれているのを見ていたので、次第に、友人がなくなったと聞いても涙が出なくなったといいます。人間らしい心、人間性まで奪い去るのが原爆です。 被爆後、足がはれたり、ひどい貧血に悩まされたりしましたが、目立った外傷がないため、原爆とは無関係だといわれ続けてきました。 その後結婚し、子供が生まれた後、新聞で、長崎で被爆した女性が子供を残し、亡くなったという記事を読み、とてもショックを受けました。そのとき初めて、自分がいつ亡くなってもおかしくないことを自覚し、子供を残したまま亡くなることに恐怖を感じたといいます。 「赤い背中の少年」の写真で有名な、今年の世界大会にもゲストでいらしていた谷口稜曄さんも同じ、爆心地から2km地点で被爆されたそうです。被爆者の方は、もし、あと少し早く家を出ていたら、自分も全身大火傷をおっていたかもしれない、と語りました。 自 分の子供に心配をかけたくないと、ずっと被爆体験を語ってきませんでした。しかし、被爆59年目に息子と一緒に広島の資料館に寄ることになります。資料館 の展示物を見て、息子さんは「こんなこと、一言も話してくれたことなかったね。」と言いました。その、とてもいたわりのこもった声に背中を押され、また、 息子はもうすべてを知ってしまったからもう怖がることはない、とその翌年に始めて人前で被爆体験を話し始めました。 また、映画「長崎の鐘」や「ヒロシマ・ナガサキ」を見たが、実際はあんなもんじゃなかった、文字や絵で表せるもんじゃない、とおっしゃっていました。 絵や文字で表現しきれないものだからこそ、私たち受け取り手がいかに想像し、いかに感じ入ることができるか、がとても大切だと思います。私自身、この一年半、いろんな被爆者のお話を聞いてきて、やっと受け止められるようになってきたこともあります。 いろんな葛藤や苦痛を乗り越えて私たちに被爆体験を伝えてくれる被爆者の方々。その想いに応えられるように、被爆者の方たち以上に、私たちにも、自分とよく向き合うこと、多くの体験に触れることなどの努力が必要だと思いました。 「人に伝える苦しみを初めて知った」「自分は何もできないけど、被爆者の話を受け止めることはできると思った」などの感想がでました。 |
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