「今も生きている原爆被害」
2007 / 06 / 22 ( Fri ) 原水爆禁止2007年世界大会へ参加する北海道高校生・学生ツアー実行委員会では、被爆の実相や、今なお癒えることのない被爆者の三重の苦しみを知ってもらいたい、そして、核兵器廃絶の取り組みや、原爆症認定制度の問題についてわかってもらいたい、という思いで、以下の企画を行います。ぜひ皆さんいらしてください。 写真展と被爆者との交流 『今も生きている原爆被害』 ヒロシマ・ナガサキの悲劇から62年、過去のこととなり「終わったこと」として忘れられようとしているけれど、本当にそうなの?この機会に原爆の恐ろしさと被爆の実態についてもう一度考えてみよう! とき:6月24日(日) 10:00〜 ところ:札幌市教育文化会館 F4ギャラリー (中央区北1条西13丁目) 主催:北海道高校生・学生ツアー実行委員会 連絡先:h_gakuseitour@yahoo.co.jp *入場無料 「人間と原爆展」の写真展示の他にも、被爆者の方とのしゃべり場・交流の時間(13:00〜と17:00〜の2回)もあります。この時間に合わせての参加をお待ちしていますが、写真の展示自体は20:00までなので、好きな時間に来てください。 その他、「手作りピースアクセサリーのつくり方講座」や、今年の世界大会へ持っていく千羽鶴を折ってもらうコーナーもあり、盛りだくさんです。 まず、写真だけでも見に来てください。あと、鶴を折りに。 それではお待ちしています。 追記。 今年の長崎での世界大会(8月6〜10日の日程で参加)へ参加してみたいという高校生・学生(青年)も随時募集中です。興味のある方は気軽に連絡ください。 高校生・学生ツアー実行委員会 佐々木 あきら |
被爆体験の聞き取り
2007 / 06 / 08 ( Fri ) 6月3日、FoRPのメンバー7人で札幌市白石区にある被爆者会館を訪れ、被爆者の被爆体験を聞きました。今回お話してくれたのは、広島で入市被爆した、現在80歳のWさんです。
まず初めに被爆者健康手帳を見せていただきました。私は、被爆者健康手帳の現物を見るのは初めてだったのですが、いたって普通の手帳やなっていうのが率直な印象でした。 Wさんは旭川で生まれ、旭川工業高校に進学します。高校在学中、16歳のときに、高校にいた配属将校に勧められ、少年飛行兵に志願しました。当時の学校には、軍事教練の指導や思想の監視のために、現役将校や退役軍人がいたそうです。小学一年生のテキストに「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」と書いていたことからも、当時軍国主義だったことがわかります。「何かことがあったら公に奉公しなさい」→「兵隊にいってたたかいなさい」と書いた教育勅語発布の日、明治23年10月30日を忘れることができない、とおっしゃっていました。 Wさんが志願した昭和18年は、少年兵を大量に導入した年だったため、本来3年半で学ぶことを1年半で詰め込まれ、昭和20年1月に下士官になりました。 500の仲間のうち、150人が特攻で亡くなったそうです。 Wさんは8月4日から8日まで朝鮮の釜山(プサン)に行き、直接被爆をまぬがれました。8日の昼ごろ広島に帰ってくると、飛行機から焼け野原の広島が見えました。飛行機の中まで異様なにおいが漂ってきたといいます。爆心地から3,5キロの地点で、裸に半ズボンで作業していた穴掘り部隊(約20人ほど)は、全員その日のうちに亡くなりました。 火傷には油を塗るといいといわれていたので、飛行機の潤滑油(ひまし油)を避難してきた人の火傷に塗ってあげました。塗るだけで、200リットルのドラム缶7,5本分がなくなり、その時点で、油が不足し、医療班もできたため、油を塗るのは中断しました。川岸に、大量の死体が並んでいました。死体を順序良く並べ、片端から引き上げて、まとめて燃やすためです。死体を焼く、なんともいえないにおいが町中に流れていました。それから毎日町を通って司令部に通いました。 8月8日、市内に入って見た風景は… 橋の欄干が倒れている。 街路樹は、爆心地と反対側は真っ青、爆心地の側は焼けて茶色になっている。 山は焼けて真っ赤になって、夏なのに紅葉。 学校の窓ガラスは粉々に割れて、反対側の壁に無数の破片が刺さっている。 爆心地から4キロ地点の船舶司令部でも女性が一人、ガラスの破片で頚動脈を切って亡くなられたそうです。ガラスの威力は計り知れないとおっしゃっていました。 8月24日、広島で雨の降っている中、青い火を見ました。燃やしきれない死体が腐って、骨に含まれているリンが燃えていたそうです。 「もし今新型原爆を落としたら、放射性微粒子を含んだ雨、チリは世界中に広がり、原爆を落とされた国だけじゃなく、落とした国も被害を受ける。だから、気違いじゃない限り、落とすなんて考えられない。だけど、持っている限り使いたくなるのが軍人なので、やっぱり核兵器はなくさなければならない」と語ってくれました。 Wさん自身、入市1週間後ぐらいに下痢などの急性症状がでました。現在でも右半身にしびれ、冷感が残っているそうです。原爆症認定申請は国に却下されました。Wさんは、繰り返し、核廃絶への思いを語ってくれました。私たちが受け取った被爆者の思いをしっかり受け取って、つないでいかなあかん、と思いました。 ちかでした〜。 |
被爆体験を聞きにいきます。
2007 / 06 / 01 ( Fri ) 直前になりましたが、お知らせです。
今週日曜日、被爆者の方にお話を聞きにいきます。 少人数で被爆者を囲んでお話を伺います。 参加したい方は直接現地まで集合するようお願いします。 被爆体験の聞き取り 6月3日(日) 12時〜 @ノーモアヒバクシャ会館 (札幌市白石区平和通17丁目北6−7) ※JR平和駅改札から徒歩3分 ちかでした。 |
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